帝国と文明との関わり
(第1章8/12)
今回は第1章の8回目(全12回)。これまで歴史を知る重要な3つのキーワード「都市」「文明」「帝国」について学びました。帝国を支えるのは強大な軍事力と官僚機構でした。そして商業を活発にする必要もありました。公共事業によって領土を整備することも帝国の重要な役割でした。
この記事では、帝国と文明の関係を見ていきますが、その前に帝国を形作った民族である遊牧民たちの行動を見ていきます。
歴史の解説を読まれる方はこちらに移動してください 記事の一覧トップ 古代オリエント史第1回:古代オリエント文明の概観
1.3.4 帝国と文明との関わり
いよいよ第1章も最後となりました。第1章の主なねらいは、歴史を学ぶ上で大切な言葉である「文明」について理解することです。しかし、文明という言葉ほどぼんやりとして、具体的な例を見つけづらく、理解が難しい言葉はありません。この章の3回目の記事では、歴史の流れの中で文明と呼ばれるものがどのようにして生まれたのかを考えました。文明は都市から生まれるのでした。
では第1章の最後に、帝国と文明との関係について考察します。
結論を先に書きますと、帝国は滅びるが文明は生き続ける、ということに尽きます。
帝国の栄光、帝国がどれだけ栄華を誇っていたかについては、数々の帝国の遺跡がそれを物語っています。とはいえ、かつての帝国の栄光は今では見る影もありません。
しかしながら、文明の遺産、文明が受け継いだものは今でも私たちの周りにあります。例えば前の章のいちばん最初(序章「はじめに-なぜ歴史を学ぶのか」を参照)に挙げた仏像はその良い例です。
さてここでもう一度、帝国が作られるきっかけを見ていきましょう。帝国はウマを操る民族である遊牧民によって作られました。遊牧民とはどのような民族なのでしょうか?少し見てみましょう。
1.3.4.1 帝国を作った民族、遊牧民による征服
帝国は強大な軍事力によって広い領土を征服し、支配した、とこれまで何度も述べました。軍事力を支えたのはウマを使った戦車でした。
さらに紀元前7世紀(紀元前600年代)頃に、馬に乗る騎手が馬に乗りながら弓を射る騎馬戦術が発達しました。この技術を身に着けるには十分な訓練が必要でした。しかし訓練を受けた者が集団となれば最強の軍隊が編成出来ます。騎馬戦術は戦車による戦隊や歩兵たちを圧倒しました。スピード感が全く違います。敵の陣地に馬で接近し、弓を放ってから馬を走らせてすぐに逃げることが出来ます。
さて戦車戦術と騎馬戦術、どちらもウマを使った戦術です。これらの戦術を編み出したのは日常的にウマを操っている民族でした。
ウマを操る民族を遊牧民と言います。遊牧民とはウシやヒツジなどの家畜を飼い、その動物たちの餌場を求めて草原を移動する民族のことを指します。遊牧民たちは家畜をまとめるために日常的にウマを使います。
遊牧民は普段はバラバラな民族として行動しますが、一旦結束し、まとまった集団となった場合、強大な軍事力を持ちます。
強大な軍となった遊牧民の集団は、都市を襲うようになります。都市を襲って食料や金目の物を奪うことを略奪といいます。遊牧民たちの攻撃には略奪が付き物でした。
そしてそのまま都市を含む領域を支配するようになります。このようにして生まれたのが帝国です。
とはいえ略奪を続けるだけでは帝国とはなりません。また軍事力に物を言わせて重い税金を課し、農民や商人から財産を搾り取るのにも限界があります。
そこで、帝国の王は巧みに国を治める、統治する方法を身につけなければなりませんでした。そのために作られたのが役人たちによる統治、つまり官僚機構でした。
都市には文字が読めて、事務作業に慣れている役人がいました。このような都市の役人たちも官僚として抜擢されたでしょう。また軍人の能力のある者も官僚になれました。
加えて帝国は領土における商業を活発にするために、領土のネットワークを開発する必要がありました。公共事業が必要でした。
このようにして帝国は、領土の支配のために、都市から生まれた文明を利用するようになります。
この記事では、帝国を作った民族の遊牧民が、どのようにして帝国を作ったのかを見ました。
次の記事では、帝国が自らの権威を高めるために文明を利用する様子を見ていきます。