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第2章:古代オリエント文明

(第2章1/15)

いよいよ歴史の幕開け、文明発祥の地、古代オリエントの歴史を解説します。まずはメソポタミア文明から、次にエジプトの王朝について解説します。

今回の記事では第2章のはじめに、古代オリエント文明を大まかに説明します。

解説を読む前に

その前に、読む際の注意事項を説明します。

まず重要な用語、試験で出題される用語は色を付けていますが、その用語を最初からすべて覚えなくても構いません。大切なことは歴史の大まかな流れをつかむことです。繰り返し読むにつれて、細かい用語も覚えられるようになります。

高校生または受験生の読者の皆様への注意事項です。本サイトの説明は、入試で出題される範囲より少し広い範囲を扱っています。ですから、いきなり全部を覚えようとしないでください。また中間、期末試験の直前対策には各記事の最後の「まとめ」を見るだけでも結構です。読みながら要点をまとめられるようになれば、得点アップが狙えます。そのレベルまで繰り返し読みましょう。4回繰り返し読めば自信が付きます。

2.1 古代オリエント文明の概観

最初はメソポタミア文明からです。この文明は、いくつかの都市国家と呼ばれる共同体が出来たことから始まります。都市国家はメソポタミア(現在のイラク、シリア)を流れる2つの河川-ティグリス川、ユーフラテス川のほとりにいくつも生まれました。

メソポタミアは平地が続き、水に恵まれてはいますが、逆に土地を巡る争いや、異民族の侵入が相次ぎ、国家は安定しませんでした。やがていくつかの都市国家は王国として統一されます。幾つかの強大な王国が生まれては消えますが、その中からやがて、アッシリア、アケメネス朝、といった「帝国」が誕生します。

次に古代エジプトについてです。古代エジプトの歴史でメソポタミアと違う点は、作物が良く育つ土地であり、また地形に恵まれていることです。

エジプトを支えるのは、何よりも最大の河川、ナイル川の水運、水の流れです。ナイル川は毎年7月に増水し、氾濫した川の水は周辺の平野を満たします。氾濫の後の土地は肥え、農作物を育てるのに良い土地となります。ギリシアの「歴史の父」と呼ばれる歴史家ヘロドトスはこの現象を「ナイルのたまもの」と呼びました(実はこの言葉はヘロドトス以前に他の者が言っていたようです)。「たまもの」とは神が人間に与えるものを指します。

加えて、エジプトは他の国から攻撃されにくい地形にありました。東はナイル川に阻まれ、西はサハラ砂漠が広がり、自然の城壁となっています。

そのような恵まれた土地である古代エジプトの王朝は紀元前3000年頃にエジプトに統一国家が作られてから30ほどの王朝がありました。その中で重要なのは次にあげる3つです。それは、古王国(第3~6王朝)、中王国(第11~12王朝)、新王国(第18~20王朝)です。

この記事では、古代オリエント文明を形作る2つの文明、メソポタミア文明と古代エジプト文明の概要を説明しました。

次の記事からメソポタミア文明を考えていきます。

この記事のまとめ

  • メソポタミア文明はティグリス川、ユーフラテス川のほとりにいくつもの都市国家が出来て生まれた
  • メソポタミアは土地を巡る争いや、異民族の侵入が絶えなかった
  • エジプトは「ナイルのたまもの」によって作物が良く育つ土地が多く存在した
  • エジプトは東はナイル川に阻まれ、西はサハラ砂漠が広がり他の国からの攻撃を受けにくい地形だった

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