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民族の移動が歴史を作る-コラム「歴史の通奏低音」1

(第2章15/15)

今回は第1章の最後に、本サイトで最初のコラム「歴史の通奏低音」を書きます。タイトルは「民族の移動が歴史を作る」です。

この記事では、現在でも民族の移動があることを示し、それから代表的な民族の移動の例を見ていきます。次に民族の移動が起こる原因を探り、最後に現在でも民族の移動があることを前提にして世界を見る必要があることを述べます。

今は民族大移動の始まりか?

このコラムの初めに紹介したい書籍があります。作家の佐藤優さんとジャーナリストの池上彰さんの対談による「大世界史」(文春新書、2015)です。最初に池上彰さんによる前書きがあります。私は2年前にこの池上さんの序文を読んで衝撃を受けました。序文はこのように始まっています。長いですが引用します。

「欧州に大量に流入する難民の大波。現代版の民族大移動と呼ぶ段階に達しているのかも知れません。(中略)

佐藤優氏との対談が終わった後、この問題が欧州を揺るがすようになりました。歴史を振り返ると、かつてのゲルマン民族大移動をはじめ、数々の民族大移動を繰り返して、現在のヨーロッパの民族構成が形成されました。いまや、その現代版が始まっている。欧州のいまを見ると、そんな歴史的事実を想起してしまいます。

アフリカのナイジェリアやマリでの紛争から逃れた難民たちは、北アフリカを北上。モロッコやチュニジア、リビアなどを経由し、密航船に乗って地中海を北に進み、イタリアに達します。内戦状態のリビアからの難民も、同じルートでヨーロッパへ。

ところが、難民ですし詰めになった密航船は、地中海で次々に転覆。大勢の犠牲者を出します。」

池上さんはこの序文で、今は新たな民族大移動の始まりの時代かもしれない、と指摘しています。世界中が国境線で区切られている現在、民族大移動など起きるのか、と思われるかもしれません。しかし、現に難民として国境を越えている人たちが後を絶ちません。

これからの日本にも民族の移動はある?

民族の移動は今の日本においても無視出来ません。

現在の日本は人口が減少する時代に突入しています。これから労働者の数も減っていきますので、外国人の労働者をどれだけ受け入れるか、ということがいつも話題に上るようになりました。日本の人口が減る中で、日本でも民族の移動が襲ってくるかもしれません

昨年(2017年)、将来の日本が不安となってしまうような書籍が出版されました。「未来の年表」(河合雅司、講談社現代新書、2017)という書籍です。これは今から2065年にかけて、このまま人口の減少に歯止めがかからないならば何が起きるか、という問題をデータをもとに予想した内容です。

この書籍の最後の方に、2065年の予測が書かれています。そこでは「外国人が無人の国土を占拠する」とあります。人がいなくなった町や村が外国人が住む地域になってしまう、というのです。

そんなことが起こるのか?と疑問に思いますが、その理由として、国土交通省の予測によると、2050年には現在人が住んでいる地域(居住地域)の中の19パーセントが誰も済まなくなる、と予測されていることが挙げられています。この誰も済まなくなる地域に外国人が移り住むことが考えられるのです。また、人口が少ない地方の自治体(市区町村)に外国人が大勢移り住んだならば、そこは外国人の町になってしまいます。

現在移民の問題がアメリカやヨーロッパ各国で叫ばれています。しかし、日本の方が人口が減少するスピードが速いために、移民の問題はより深刻になる可能性があります。民族の移動、特に民族の流入ははこれからの日本にも起こり得ます。

オリエント文明の時代に民族大移動はどれだけあったか?

さて、この章で学んだ古代オリエント文明の時代ですが、文明の歴史が紀元前3000年、今より5000年前から始まるとして、その半分の2500年の歴史を最初の章で学びました。この中で民族大移動という現象はどれだけ見られたでしょうか?

代表的なものだけでも、セム語系のアッカド人のメソポタミアへの移動、同じくアムル人の移動、インド=ヨーロッパ語族のヒッタイト人の南下、ヒクソスのエジプトへの移動、「海の民」の東地中海への移動があります。

他にもフェニキア人が地中海沿岸に次々と植民市を建てたこと、これも民族の移動に当たります。またアッシリアやアケメネス朝といった帝国の征服も、それには商人や農民たちが従っていたでしょうから、征服活動も民族の移動と言えます。

征服活動が民族の移動を伴った例としては、本サイトの「はじめに」のところで紹介した、マケドニア(ギリシア)のアレクサンドロス大王の東方への大遠征があります。この遠征では多くのギリシア人が征服した土地に移住し、ギリシア風の文化を広めました。

また西暦7世紀(600年代)の中東でイスラームという新しい一神教が興り、この時も信者による征服活動がありました。征服した土地には軍営都市(ミスル)と呼ばれる都市が作られました。ここに多くのアラブ人を中心とするイスラーム教徒(ムスリム)が移り住みました。

もう少し現代に近い例も挙げておきます。中国の上海のいちばんの観光地に外灘(ワイタン、バンド)と呼ばれる地区があります。ここには立派な洋風の建物が海沿いにずらりと並び、観光客の目を奪います。

この地区は戦前は租界と呼ばれ、イギリス人を始めとする欧米の外国人が移り住んだ地域でした。最初はアヘン戦争でイギリスが中国(清王朝)に勝利した後に、1845年にイギリス人によって建てられました。租界の入り口には「犬と中国人は入るべからず」という立て札が置かれました。現地人の入ることが出来ない、いわゆる外国の占領地でした。

これは民族の移動と呼ぶには地域が限られていますが、外国人が一斉に移り住んだ、という点では民族の移動と呼べるものです。

これからも歴史を学んでいくと、これも民族の移動だ、と思える現象が次々と出て来ます。少し意識して歴史を見ると、民族の移動がなかった時代はない、と思ってしまいます。

現代にも民族の移動はあるのか?

ところで、現在の世界はどうでしょうか?

現在の世界では世界中に国境線が引かれています。それぞれの国に住む民族は国境を超えることは出来ず、今では民族の移動はありえない、と思われるでしょう。

しかしながら、この記事の最初に見たように、国境を超える難民がいまだに大勢います。また日本にも外国人が大量に押し寄せる可能性がありました。

民族の移動は今も続いています。

民族の移動の原因は何か?

ではここで、民族が移動する原因を探ってみましょう。

民族の移動には移動する側とそれを受け入れる側の両方の条件があります。ここではまず移動する側、出て行く側の民族について見てみましょう。

この場合、移動するいちばんの原因は気候の変動です。他には現在の難民のように、戦乱のある地域から逃れるための移動もあります。

もう一つ挙げるならば、500年前(16世紀、1500年代)に始まった新大陸(アメリカ大陸)の発見によって、アフリカの黒人がアメリカ大陸に奴隷として連れ去られたように、強制的な移動もあります。他にも、アメリカの西部への開拓が進むにつれて、先住民のインディアンが狭い居住区へと移動させられた例があります。

気候の変動、という原因についてはどうでしょうか?気候の変化については、気温が上がる温暖化と気温が下がる寒冷化、どちらの場合も民族の移動が起こります。

寒冷化による移動の方がイメージしやすいかもしれません。気温が下がって作物が育たなくなり、食料を求めて温暖な地域へと移動する場合です。

最近では、現在の西ヨーロッパの形が出来る元となったゲルマン民族の大移動(西暦375~)も気候の寒冷化が原因の一つではないかと指摘されています。同じヨーロッパでも西側の方が大西洋に温かい潮の流れ(暖流)があるために温暖です。直接の原因は、中央アジアの平原(ステップ地帯)からフン人という遊牧民が、ゲルマン民族の一つの東ゴート人を襲ったためですが、より大きな理由として気候の寒冷化にも注目が集まっています。

それでは、気候の温暖化の方はどうでしょうか?こちらも民族が移動する理由として見逃せません。

ヨーロッパは西暦11世紀(1000年代)頃から人口の増加が見られます。西ヨーロッパは先ほど述べたゲルマン民族の大移動とその後の9世紀(800年代)からのノルマン人(ヴァイキング)の大移動によって国家がまとまらない状態でした。一時フランク王国カール大帝が西暦800年頃に西ヨーロッパの大半(現在のフランス、イタリア、ドイツ)を統一しますが、地方の領主が自分たちの土地を管理している状況は変わらず、カール大帝のような国王、皇帝の力も弱いものでした。

そんなまとまりのない、ばらばらなヨーロッパが変化したのが11世紀以降です。いちばんの原因は人口の増加です。その原因としては農業の技術革新によって収穫が増えたことがあります。

同時に、ヨーロッパの人口の増加の理由は、気候が温暖になってきたこと、温暖化も理由として挙げられています。

人口が増加すると、新たに人が住む土地、耕作する土地を求めて領土を拡大する動きが見られます。西暦1100年を境に、西ヨーロッパでその動きが見られました。

まず聖地イェルサレムへの遠征から始まる十字軍遠征(1096~1291)があります。またドイツでは耕作地を東へと拡大する東方植民が見られました。

受け入れる側はどうなるのか

これまである地域から出ていく民族に注目して民族の移動を考えてきました。ではそれを受け入れる民族はどうなるのでしょうか?

歴史を見ると、受け入れる側の民族、つまり元からいた先住民は移動してきた民族の支配を受けます。平和的に受け入れられる場合もありますが、大体の場合はやって来る民族に従うことになります。

民族を受け入れられる場合は、その国が豊かで、少し人口が増えたとしても国を保つことが出来る場合です。しかしその受け入れる範囲にも限界があり、やがて入って来る民族の力が強くなります。

元からいた先住民が移動してきた民族に支配される例は、先ほど挙げた、アメリカにおける先住民のインディアンが居住区へと移動させられたことがあります。

他の代表的な例としては、紀元前1500年頃にインド北部(現在のパキスタン領)に移動したインド=ヨーロッパ語系アーリヤ人と先住民との関係があります。この場合は移動してきたアーリヤ人が支配階級となり、先住民を支配するようになります。

民族の移動はなくならないのか?

民族の移動は出ていく側と受け入れる側で衝突を引き起こします。ならば民族の移動がなくなる日は来るのでしょうか?

おそらく、それはこれからも続くでしょう。いや、民族の移動があることを前提にして今の世界を見るべきです

民族の移動がなくならない理由は、気候の変動がこれからも続くことと、他には国家の豊かさや技術力に差があることです。

とはいえこれまで見てきたように、民族の移動がある場合にはどうしても衝突が起きます。ならば、民族が移動するという現実を受け入れた上で、民族の移動に伴う衝突を和らげる方法を探らなければなりません

また、民族が動く流れをつかむことが大切です。今は一部の国を除いてどの国も人口の統計を取っているので、どの地域の人口が増えていて、また減っているのかがすぐに分かります。人口が増えている地域には、人口が増加しても国家を維持できるような援助が必要です。これは食糧不足によって人口が減少する危険がある国家への援助と同じく必要です。

さらには気候の変動にも注意が必要です。ある地域の1年を通じた平均の気温の変化を見るだけでも気候の変動はつかめます。気候の変化をつかみ取ったならば、それと同時に作物の収穫が増えているのか、減っているのか、食糧はどれだけ自給(自分たちの国で食糧をまかなうこと)出来ているのか、と調べていくと世界中の国々の変化が見えてきます。

「約束の地」はあるのか?

この記事の最後に、民族の移動と歴史が切り離せないことをお伝えします。歴史とは民族の移動である、と言ってもいいくらいです。

なぜそこまで言えるのか、その答えは歴史を通して見える人間の性質に注目すると分かります。

本サイトの「はじめに」の3つ目の記事の最後に筆者はこのように書きました。

「歴史は人間が持つ尽きない好奇心によって作られてきました。その好奇心が見知らぬ土地に住む人々を思い、その人々とつながるために様々なネットワークが形作られました。

ではそのようにして今の世界が出来上がったことをいつも意識して、世界が一つに結ばれていく物語に足を踏み出しましょう。」

人間の見知らぬ土地を思う精神、これが民族の移動の原動力です。ですが、人は住み慣れた土地を離れることは、よほどの理由がない限りありません。それでも環境が急激に変化するならば、それが原因で人はまだ見ぬ土地へと向かいます。

より良い土地を求める人間の精神がある限り、民族の移動は続きます。民族の移動には衝突が付き物です。しかし、それは大きな交流の機会でもあります。ですから私たちは今の世界を理解するために、そしてより良い世界を思い描くために、人間の性質である人間の移動、民族の移動に注意を払わなければなりません。

では、次の記事から古代ギリシアの解説に移ります。最初に古代ギリシアの特徴を、地理的な条件や気候などをもとに考えます。

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