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古代ギリシア:ポリスの誕生

(第3章5/15)

今回は古代ギリシアの5回目(全15回)。前回はギリシア人の2回の大移動の間に栄えた文明、ミケーネ文明について説明しました。

この記事では、紀元前8世紀(前700年代)から生み出されたギリシア独自の都市国家、ポリスの誕生を見ていきます。最後にポリス社会と現代との関係についても考えます。

3.4 ポリス全盛時代

3.4.1 ポリスの誕生

ミケーネ文明が滅び、その後400年間は暗黒時代と呼ばれた、と前の記事で学びました。その時代は文字の史料が見られないためにそう呼ばれていました。

紀元前8世紀(前700年代)頃になると、ギリシアの社会に変化が見られます。東側の世界との交流が活発となり、植民活動を行った様子も見られます。さらに大きな変化としてギリシア文字のアルファベットが用いられるようになりました。

アルファベットの元となる文字を開発したのはどの民族だったでしょうか?第1章で出てきたフェニキア人でした。フェニキア人は東地中海地方を拠点とした、セム語系の民族で、船を用いた交易が盛んでした。

ですからギリシア人がアルファベットを使い始めたことは、フェニキア人との交流があったことを示しています。ギリシア人はフェニキア人を始めとする東側の民族との交流を通して、東側の文化を取り入れていきます。

外側へと向かうギリシア人、植民活動の始まり

続いてギリシア人が植民活動を行ったことは、ギリシア人が周辺の地域との交流を活発にし、外の世界へ向かっていったことを表しています。植民についても第1章のフェニキア人のところで出てきました。この時代の植民活動は、自分の国以外の場所に生活と交易の場所を作ることです。生活のための農地を開拓したり、交易の拠点を作ることが目的です。

ですが、先住民の目からすればよそ者が突然やって来た、と思います。植民をして移り住んだ者達は、先住民の攻撃に備えなくてはなりません。そのため、植民によって作られた街(植民市)には最低限の軍備が必要でした。

この章の最初に説明したポリスの特徴を思い出してみてください。そこではポリスは城壁に囲まれた中心となる都市と、その周辺の農地から成る、と述べました。

このように住民が都市に集まって住み、周囲を城壁で囲むようになったのは、ギリシアからはエーゲ海を挟んだ向かい側、小アジアの沿岸に植民市を建て始めた時から、と考えられています。ですから、ギリシア人が外の世界と交易を活発にし、さらに外に向かって植民を行い始めたこと、こういったギリシア人たちの対外的な行動の変化がポリスを作ったと言えそうです。

ポリスは市民によって作られる

ギリシアのポリスでは、城壁の中で人々が集まって住むようになりました。このように限られた区画の土地に集まって住むことを集住(シノイキスモス)といいます。

さて、ギリシア人たちがポリスを形作るようになった証拠として、ギリシアの集落の形、特に神殿などの宗教的な施設の作りに変化が見られることが挙げられます。紀元前8世紀(前700年代)以降からそのような変化が見られます。

この頃から、神殿が一部の貴族たちが使うような小規模なものから、市民全員が儀式に参加できるような大規模なものへと変化しました。このように集団で共同で行う儀式が増え、集団としての意識も芽生えたようです。

今挙げたことは一例ですが、ポリスが形作られ、市民がポリスの一員だという意識が生まれていった様子が分かります。ギリシアのポリスの特徴として、この市民意識があります。市民としての意識は、ポリスの一員だという自覚を持ち、兵役(兵士の務め)やポリスの様々な役割を果たすように努めることで生まれます。

さらにポリスの市民は個人として、ポリスのためにどのように行動するのかが求められました。

ポリスの市民意識と現代とのつながり

ところで、この個人としてポリスの中で生きる、という市民意識は、後のヨーロッパの人達に大きな影響を与えます。最後に現代にもつながる古代ギリシアと近代のヨーロッパとの関係を考えます。

実を言うと、ギリシア人自身がその後に古代ギリシアの文化を忘れてしまいます。というのは、この後にギリシアはローマの支配に入り(紀元前146年)、その後1500年もの間、古代ローマ(共和政ローマ)、ローマ帝国、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)とローマの支配を受けたからです。特に後半のビザンツ帝国ではギリシア語が公用語として使われたために、ギリシア人のローマ国民としての意識は高まりました。

しかし、ヨーロッパの知識人、芸術家、そしてそれを支える大富豪(大金持ち)たちが古代ギリシアの文化に価値を感じる時が来ました。

それは14世紀(西暦1300年代)頃から始まるルネサンスと呼ばれる芸術、科学、思想の一大運動が起こった時でした。ルネサンスを一言で表現するのは難しいですが、それは人間の目覚め、個人の目覚め、と呼ぶべき時代でした。

続けてヨーロッパでは16世紀(1500年代)よりドイツのルター宗教改革という運動を起こします。ちょうど今から500年ほど前のことです。ルターは当時の教会(カトリック)が信者からお金をもらって罪を許す、と言っていることに抗議します。そして、信仰があれば一人一人が個人として罪を許される、と訴えます。

この宗教改革によって、ヨーロッパの世界で個人として生きることの価値が確認されます。この個人の目覚め、と呼ぶべき現象が後の時代のヨーロッパを一気に発展させ、ヨーロッパが世界の中心となる、近代の時代となりました。

古代ギリシアのポリスの市民の中に生まれた市民意識、個人としての意識は現代の社会にも大きな影響を与えています。ポリスという社会がいかに独特な、際立った社会だったのか、お分かりいただけたでしょうか。

この記事では古代ギリシアで紀元前8世紀(前700年代)頃から、ポリスという都市国家がどのようにして生まれたのかを見ました。最後に近代のヨーロッパとの関連も考察しました。

次の記事では、ポリスが発展する様子と、ポリスがどのように支配され、管理されたのかを見ていきます。

この記事のまとめ

  • 紀元前8世紀頃より、ギリシアの社会は東側の世界との交流が活発となり、植民活動を行った様子も見られる。またギリシア文字のアルファベットが用いられるようになった
  • 植民活動の目的は、生活のための農地を開拓したり、交易の拠点を作ることだった
  • ギリシアの住民が小アジア沿岸に植民市を建て始めたあたりから、都市に集まって住み、周囲を城壁で囲むようになった。このように限られた区画の土地に集まって住むことを集住(シノイキスモス)という
  • ポリスが形作られるにつれて、住民の間で市民意識が生まれた、市民としてポリスのために役割を果たすことが求められた

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