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東地中海のセム語系民族-陸のアラム人と海のフェニキア人

(第2章6/15)

今回は古代オリエント文明の6回目(全15回)です。前回は古バビロニア王国が滅びた後のメソポタミアについて説明しました。カッシートとミタンニ王国という2つの勢力が支配しました。

この記事では紀元前1200年頃に起きた民族大移動の混乱の後に東地中海にて勢力を伸ばしたセム語系の民族について説明をします。まずはアラム人とフェニキア人について説明します。もう一つの有力な民族ヘブライ人については次の記事で解説します。

2.2.7 東地中海のセム語系民族-陸のアラム人と海のフェニキア人

紀元前1200年頃に東地中海沿岸へと「海の民」が侵入し、この地方に混乱を招きました。東地中海地方とはシリアからパレスチナ(現在のレバノン、イスラエル、パレスチナ自治区)にかけての地域です。

その混乱の中で、小アジア(現在のトルコ共和国)からシリアにかけて支配していたヒッタイト王国は滅び、またシリアにまで北上していたエジプト新王国の勢力も東地中海から撤退てったいします。

2つの大国がいなくなった東地中海では、セム語系のいくつかの民族が勢力を伸ばしました。その中にアラム人とフェニキア人がいました。

アラム人の活躍

アラム人は紀元前1200年頃よりシリアのダマスクスを中心として、内陸の貿易ぼうえき(他の国と商取引をすること)によって栄えました。紀元前8世紀(前700年代)にはアッシリアの侵略を受け、アッシリアの支配を受けます。しかし、それ以降も商業活動を盛んに行いました。

アラム人が使ったアラム語は当時のオリエント地方の国際共通語でした。後にアッシリアとアケメネス朝の2つの帝国も公用語にアラム語を採用しました。このことは、それだけ広い範囲に渡ってアラム人が商業活動を行っていたことを物語っています。広大な帝国の領土の広い範囲でアラム語が通用したのです。

アラム人が用いていた文字はフェニキア文字から分かれたアラム文字でした。フェニキア文字については後で説明します。このアラム文字は多くの言語の文字の源となりました。現在使われている文字では、ヘブライ文字、アラビア文字、モンゴル文字のもととなっています。

海での活動が活発なフェニキア人

次に、アラム人同様に大きな勢力となったセム語系のフェニキア人ですが、彼らはアラム人とは反対に、地中海の貿易を独占して勢力を伸ばしました。

フェニキア人たちはパレスチナの北側、現在のレバノンの辺りに都市国家を作り活動しました。有名な都市国家にシドン、ティルスという海港都市(港を中心とした都市)があります。

レバノンの周辺は平野が少なく、海に迫るようにレバノン山脈が南北に渡ります。フェニキア人たちはこのレバノン山脈から採れる良質の、質の高い杉を切り出して船を作り、その船を使って地中海全域で貿易を行いました。ちなみに、現在のレバノンの国旗にも杉が描かれています。杉の木材はフェニキア人にとっても大切な商品でした。

フェニキア人たちは地中海沿岸に数多くの植民市を建設しました。植民と言っても、フェニキア人たちが沿岸に住み、街を作った、といった様子です。

フェニキア人が作った植民市の中で最も有名な都市はカルタゴです。北アフリカの沿岸にあり、シチリア海峡を挟んで向かい側にはシチリア島があります。シチリア島の北に長靴の形をしたイタリア半島があります。カルタゴは西地中海の貿易を独占しました。

カルタゴは後に古代ローマ(共和政ローマ)と地中海の西側の支配を巡って、3度にわたるポエニ戦争(紀元前264~146)を戦います。

フェニキア人もやがてアラム人と同様に、アッシリア、アケメネス朝と帝国の支配を受けますが、海上の貿易活動は活発でした。

ギリシア人との争い

フェニキア人たちは自分たちの海軍と軍船を持っていました。アケメネス朝は後にアテネを始めとするギリシャの都市(ポリス)とペルシア戦争(紀元前500~449)で戦います。その時にフェニキア海軍はギリシアの海軍と戦いました。

実を言うと、ギリシア人たちも地中海での貿易、商業活動を活発にし、地中海沿岸に植民市を多く建設していました。ですから、ペルシア戦争は地中海におけるフェニキア人とギリシア人の勢力争いでもありました。

やがてフェニキア人の拠点だったティルスは、ギリシア(マケドニア)のアレクサンドロス大王によって破壊されます。しかし、北アフリカの植民市カルタゴは勢力を保ち、先ほど書きましたが、ローマと戦います。

アルファベットの源、フェニキア文字

さて、フェニキア人は現在にもつながる大きな遺産を残しました。それは現在広く使われている文字である、アルファベットの元となったフェニキア文字を開発したことです。

アルファベットのように、文字と発音(話す時に声に出す音)が対応している文字を表音文字と言います。日本語では平仮名と片仮名が表音文字です。

逆にある物や意味を表わす文字を表意文字と言います。日本語では漢字が表意文字に当たります。例えば「犬」や「猫」はある特定の動物を表します。しかし、それぞれ「いぬ」「ねこ」と、文字に対応する発音を覚えなくてはなりません。このように表意文字は習得するのが難しい言語です。

初め古代エジプトでは表意文字が使われていました。しかし、それでは一部の者しか文字を読み書き出来ません。そこで文字を見て発音が分かる表音文字が開発されました。

第1章で文字は商取引を記録するために開発された、と説明しました(第1章「 文明は都市から生まれる」を参照)。商取引を活発に行ったフェニキア人にとっては誰が見ても分かり、記録がしやすい文字が必要だったのでしょう。

アルファベットのいちばんの元となった文字は、フェニキア人と同じセム語系のカナーン人が開発した、カナーン文字と言われています。フェニキア人はこのカナーン文字を改良して、フェニキア文字を開発しました。

フェニキア文字の特徴は、幾つかの線だけで文字が書けることです。このようにして文字を覚えやすく、また書きやすい文字が生まれました。最初のフェニキア文字は22個ありました。

フェニキア文字はやがて、先ほど出てきたアラム文字とギリシア文字に分かれます。ギリシア文字のアルファベットはやがてラテン文字に受け継がれ、現在のヨーロッパ各国で用いられているアルファベットとなります。

この記事では、紀元前1200年以降に東地中海地方にて勢力を伸ばしたアラム人とフェニキア人について解説しました。この2つの民族とも商業活動を活発にし、また彼らが使った言語と文字(表音文字)は広く使われるようになりました。

次の記事では、同じく東地中海地方にて勢力を伸ばしたセム語系の民族、ヘブライ人について解説します。ヘブライ人が実践した神への崇拝(神を拝むこと)の形である一神教は現在の世界に大きな影響を及ぼしています。

この記事のまとめ

  • 紀元前1200年頃に東地中海沿岸へと「海の民」が侵入した後、セム語系の民族のアラム人、フェニキア人、ヘブライ人が勢力を伸ばす
  • アラム人は紀元前1200年頃よりシリアのダマスクスを中心として、内陸の貿易によって栄える
  • アラム語は当時のオリエント地方の国際共通語。後にアッシリアとアケメネス朝もアラム語を公用語に採用
  • フェニキア人は地中海の貿易を独占して勢力を伸ばす。
  • フェニキア人はパレスチナの北側に都市国家を建てる。シドン、ティルスなどの海港都市がある
  • フェニキア人は地中海沿岸にカルタゴなどの数多くの植民市を建設した
  • フェニキア人は自分たちの海軍と軍船を持ち、後にフェニキア海軍はペルシア戦争でギリシアの海軍と戦う
  • フェニキア人はカナーン文字をもとにアルファベットの元となったフェニキア文字を開発した

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