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古代ギリシア:ミケーネ文明

(第3章4/15)

今回は古代ギリシアの歴史の4回目(全15回)。前回は古代ギリシアで最初に栄えた文明、クレタ文明について説明しました。

この記事では、最初にインド=ヨーロッパ語系民族が大移動した後に栄えた文明、ミケーネ文明について説明します。ここでギリシアに移動し、定住した民族、アカイア人がギリシア人の最初の祖先です。

3.3.2 ミケーネ文明

まずミケーネ文明について、この章の2回目で扱った部分を振り返りましょう。

現在のギリシア人の祖先はインド=ヨーロッパ語系の民族で、紀元前2000年頃より、2回に分けてバルカン半島を下ってギリシアに移動しました。

紀元前2000年頃からの最初に移動した民族をアカイア人といいます。このアカイア人たちが築いた文明をミケーネ文明と言います。ミケーネとは、ギリシアに移動し、定住したアカイア人たちが築いた王国の一つです。

トロイア伝説について

ところで、このミケーネ文明を語る上で必ず出てくるお話がありますので、ここで紹介します。前の記事にも出てきた、ギリシア人の詩人ホメロスの叙事詩「イリアス」に出てくるトロイア戦争の話です。

叙事詩というのは、英雄の活躍を描いた物語です。話は飛びますが、世界史の中で登場するもう一つ有名な叙事詩、英雄物語があります。それはインドに伝わる叙事詩「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」です。どちらもインドに伝わる信仰、ヒンドゥー教の教えと密接に結び付いています。

話は戻って、「イリアス」のトロイア伝説のお話を紹介します。

昔2つの王国、トロイアとミケーネが争っていました。トロイアの王子パリスは、ミケーネの王妃ヘレネと恋に落ち、2人でトロイアに逃げます。ミケーネのアガメムノン王はそれに怒り、アガメムノンの軍(ギリシア軍)が10年に渡ってトロイアを攻めます。

しかしながら、突然ギリシア軍が撤退し、その跡には一体の木馬が置かれていました。実はこの木馬は、智略ちりゃくに長けたオデュッセウスの提案によって作られ、置かれたもので、木馬の中にはギリシア軍の兵が潜んでいました。

トロイア軍はギリシア軍が撤退し、勝利したと喜びます。そしてその勝利のしるしとして木馬をトロイアの街の中へと引き連れていきます。トロイアの住人が勝利を祝う中、木馬の中に潜んでいたギリシア軍の兵士が秘かに抜け出し、トロイアを攻撃します。他のギリシア兵も街の外に潜んでいました。それらの兵士によりトロイアの街は滅ぼされました。

「イリアス」ではギリシア軍の英雄アキレウスが登場します。アキレウスもトロイアを最後に攻めたギリシア軍に加わりますが、最後にアキレウスの弱点であるアキレス腱(踵にある筋肉)を弓で撃たれ、命を落とします。

ちなみに、俳優のブラッド=ピットがアキレウスの役を演じた「トロイ(Troy)」という映画があります。この映画の最後にアキレウスがアキレス腱を弓で撃たれる場面があります。

さて、トロイアの遺跡は1870年からドイツの考古学者シュリーマンによって発掘されます。シュリーマンはトロイア伝説を実際にあったと信じ、発見に成功します。シュリーマンは元は考古学者ではなく、貿易などの事業によって財産を作り、それから遺跡の発掘に取り組みました。他にもシュリーマンはミケーネの遺跡に発掘にも成功しています。

実を言うと、このトロイアの民についてはどの民族から分かれ、どのような言語を話していたのかという、民族の由来が分かっていません。というのは、文字の史料が残っていないからです。ただし、トロイアの遺跡の発掘調査により、おおよそのことは分かっています。トロイアの遺跡は、その地の地層により主に9つの層に分かれていますが、ギリシア人によって破壊された時代は7つ目の層に当たり、その年代は紀元前13世紀(前1200年代)とされています。

ミケーネ文明の遺跡

これまでトロイアに注目してお話をしましたが、ミケーネ文明の他の遺跡にも目を向けてみましょう。ミケーネ、ピュロス、ティリンスの遺跡が有名です。

まずミケーネ文明の名前の元となっているミケーネの遺跡ですが、ここには石造りの城壁があります。また巨大な王の墓からは陶器、武器、青銅器や王の仮面などが発見されています。これらの中には黄金で装飾された物もあります。これらの出土品から、ミケーネの王が絶大な権力と軍事力を持ち、また交易を活発に行っていたことが分かります。

ミケーネの交易の範囲は驚くほど広いものでした。例えば発掘された宝石類にはバルト海沿岸で採られる琥珀があったり、また青銅器は現在のイギリス(連合王国)のあるブリテン島の錫を原料としていたようです。

ここで青銅器、という言葉が出てきました。これは日本でも弥生時代に見られる金属の器具です。青銅とは銅と錫を合わせた合金を指します。現在では銅像の材料として使われており、青銅の像はブロンズ像と言います。学生の皆様ならば、皆さんの学校にもブロンズの像があるかもしれませんが、その材料です。青銅は主に武器や、宗教的儀式に用いる祭器として使われました。

さて、ミケーネから発掘された品々を見ると、ミケーネ文明の交易の範囲がどれだけ広範囲に渡っていたのか、ということに驚かされます。紀元前1500年前後の時代に地中海を超えた範囲を含む交易、商業のネットワークが出来ていたのです。

次に、ピュロスの遺跡からは粘土板の文書が多数発掘されました。この粘土板に書かれていた文字は線文字Bと名付けられ、これは1953年にイギリスの建築家ヴェントリスによって解読されました。この解読により、線文字Bで書かれた言語が古いギリシア語であることが分かりました。この発見により、ミケーネ文明を生みだした民族がギリシア人であったことが分かりました。

前の記事で出てきた、クレタ文明の遺跡から出てきた文書の文字は線文字A(未解読)でした。ミケーネ文明の線文字Bとは違います。

ではここで、前の記事で出てきたクレタ文明とミケーネ文明とのつながりを考えてみましょう。このつながりを見つける鍵はクレタ島で見つかった文書にあります。

線文字Bの文書がクレタ島で多く発見されています。そこでミケーネなどのギリシア人がクレタ島を征服し、それによってクレタ文明が衰えた、と考えられます。クレタ島で見つかった線文字Bの文書の年代は紀元前1450年頃とされています。ですから、その頃にギリシア人の征服があったようです。

ミケーネ文明の衰退

やがてミケーネの王国は紀元前1300年頃より衰退し始めます。同時に城壁が強化された様子が見られ、外部からの攻撃を警戒するようになった様子が見られます。先ほど出てきたギリシア人によるトロイアへの攻撃は紀元前1250年頃と考えられています。その後紀元前1200年から1100年にかけて、ミケーネ文明に見られる王宮が次々と炎上し、王宮が修復されることはなく、突如としてミケーネ文明は滅びました

紀元前1200年頃より、ギリシア人の祖先である、インド=ヨーロッパ語系の民族の移動が始まります。この時の民族をドーリア人と言います。かつてはこのドーリア人がミケーネ文明のいくつかの王国を滅ぼした、と言われていましたが、現在はそうではない、という見方が取られています。ミケーネ文明が滅びた理由は、気候の変動、民衆の反乱、または第1章で出てきた「海の民」の襲撃に遭ったなどいろいろな説が見られますが、確定した見解、見方とはなっていません。

ところで、2回目のギリシア人の移動によって移動したドーリア人はギリシアの南端のペロポネソス半島に落ち着きます。2回目の記事で出てきましたが、ここに有名なポリスの一つ、スパルタが生まれました。

前の移動によって定住したギリシア人たちは、ドーリア人に追われるようにしてギリシアから小アジアにかけて移動します。主にアイオリス人イオニア人に分かれます。この2つの種族は同じギリシア語でも方言が若干違います。このことも2回目の記事で出てきました。

ミケーネ文明が滅びてから紀元前8世紀(前700年代)までのおよそ400年間を暗黒時代といいます。この時代がなぜ暗黒時代と呼ばれているのかというと、文字による史料が見つかっておらず、この時代のギリシア人の様子が全く分からないからです。やがて第1章で出てきた、フェニキア文字をもとにしたギリシア語のアルファベットが開発され、ギリシア語の文字の史料が見られるようになります。

この記事ではギリシア人の2回の大移動の間に栄えた文明、ミケーネ文明について説明しました。クレタ文明と違い、強力な王が強力な軍隊を従えて、絶大な権力を握っていたことが分かります。またクレタ文明と違った文字(線文字B)を使っていたことも重要です。

次の記事では、この章の最初に扱ったポリスについてより詳しく解説します。時代は変わって古代ギリシアの2つ目の時代、ポリス全盛時代に入ります。

この記事のまとめ

  • 紀元前2000年頃からギリシアに移動した民族をアカイア人という。アカイア人たちが築いた文明をミケーネ文明と言う。アカイア人が最初のギリシア人の祖先である
  • トロイアの遺跡はドイツの考古学者シュリーマンによって発掘された。トロイアの民については民族の由来が未解明。ギリシア人によって破壊された年代は紀元前13世紀とされる
  • ミケーネの遺跡には石造りの城壁があり、また巨大な王の墓が発見されている。ミケーネの王が絶大な権力と軍事力を持ち、また交易を活発に行っていたことが分かる。
  • ピュロスの遺跡からは粘土板の文書が多数発掘され、ここに書かれていた線文字Bは1953年にイギリスの建築家ヴェントリスによって解読された。線文字Bで書かれた言語が古いギリシア語であり、ミケーネ文明を生み出した民族がギリシア人だったことが分かった
  • クレタ島では線文字Bの文書が多数見つかっており、ギリシア人による征服によってくれた文明が衰えた、と考えられる
  • ミケーネの王国は紀元前1300年頃より衰退する。紀元前1200年から1100年にかけて、突如としてミケーネ文明は滅びた
  • 紀元前1200年頃より、ギリシア人の祖先であるインド=ヨーロッパ語系の民族の移動が始まった。この民族をドーリア人と言う。ドーリア人はギリシア南端のペロポネソス半島に落ち着いた
  • アカイア人たちは、ドーリア人に追われるようにしてギリシアから小アジアにかけて移動した。主にアイオリス人イオニア人に分かれた
  • ミケーネ文明が滅びてから紀元前8世紀までのおよそ400年間を暗黒時代という

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