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古代ギリシア:クレタ文明

(第3章2/15)

今回は古代ギリシアの3回目(全15回)。前回は古代ギリシアの歴史を大きく3つに分け、それぞれの時代の流れを説明しました。

この記事より、まず初めの時代、ポリス以前の時代を解説します。最初は1回目の民族大移動の前の時代、クレタ文明についてです。

3.3 ポリス以前の時代

3.3.1 クレタ文明

クレタ島はギリシアの南端、ペロポネソス半島の南側にあります。クレタ島は東西に約260キロメートル(km)の長さがあり、地中海で5番目に大きな島です。

1900年頃よりイギリスの考古学者エヴァンズ(1851~1941)がクレタ島の調査を行い、現在ではクノッソス宮殿と呼ばれる宮殿の跡を発見しました。

エヴァンズはギリシアの詩人ホメロスの詩に出てくる伝説的なクレタ島の王、ミノスの名前を取り、クレタ島に栄えた文明をミノア文明と名付けました。エヴァンズはまた、この土地で独自の文字が使われていたことを発見し、それを線文字Aと呼びました。しかしこの線文字Aはいまだ解読されていません

クレタ文明については、この線文字Aが解読されていないために、いまだ分かっていない部分が多くあります。そこでクレタ文明を築いた民族がどこからやって来た民族なのか、という民族的な由来も不明です。ですが、クノッソス宮殿などの遺跡を調べ、おぼろげながら理解されたことがあります。

まず、遺跡から発掘された品々を調べたところ、エジプトやイタリアなどと盛んに交易を持っていたことが分かりました。おそらく宮殿に住む支配者が、強力な船団を持ち、周辺の国々と様々な品物をやり取りしていたのでしょう。

クノッソス宮殿も壮大な宮殿だったことが伺えます。宮殿には何百という部屋があり、その中にはイルカなどの海洋動物を描いた独特の壁画が見られました。クノッソスの支配者は、地中海の海運(海の交通)を利用して、莫大な富を築き上げた、と推測されます。

また宮殿には城壁がないことも大きな特徴です。このことから、クレタ文明の王国は他の王国から攻め込まれる心配がなく、他の国々とは主に交易によって富を築いていたことが分かります。

加えて、クレタ文明の時代のクレタ島には、クノッソス以外にもマリア、ファイストスといった小王国があったことが分かっています。その中でやがてクノッソスが有力となり、クレタ島を統一したようです。

この記事では、古代ギリシアの歴史の初め、クレタ文明について解説しました。エヴァンズらが発見した線文字Aが解読されていないのでいまだ分かっていないことは多いですが、独自の文明が花開いていたことは数多くの出土品(遺跡で発掘された品々)から分かります。

次の記事では、最初にインド=ヨーロッパ語系民族が大移動した後に栄えた文明、ミケーネ文明について説明します。

この記事のまとめ

  • 1900年頃よりイギリスの考古学者エヴァンズがクレタ島を調査し、クノッソス宮殿の跡を発見した
  • エヴァンズはクレタ島に栄えた文明をミノア文明と名付けた。またクレタ文明で使われていた文字を線文字Aと呼んだ。線文字Aはいまだ未解読のまま
  • クレタ文明を築いた民族の系統や由来は不明
  • クレタ文明の民族は強力な船団を持ち、地中海の海運を利用して、莫大な富を築き上げた、と推測される
  • 宮殿には城壁がなく、クレタ文明の王国は他の王国から攻め込まれる心配がなく、主に交易によって富を築いていたらしい
  • クノッソス以外にもマリア、ファイストスといった小王国があったが、やがてクノッソスがクレタ島を統一したと推測される

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