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ヘレニズム時代

(第3章15/15)

今回は古代ギリシアの15回目(全15回)。前回はアレクサンドロス3世の東方への大遠征を見ていきました。

この記事では、アレクサンドロス以降の時代、ヘレニズム時代を見ていきましょう。

3.5.2 ヘレニズム時代

この章の2回目の記事でも学びましたが、ヘレニズム時代とはアレクサンドロスの死からクレオパトラ7世のプトレマイオス朝がローマのオクタウィアヌスによって滅ぼされる(アクティウムの海戦、紀元前31年)までの時代を指します。

アレクサンドロス3世が急に亡くなったため、広大な領土を誰が受け継ぐのか、というディアドコイの争い(後継者争い)が始まりました。アレクサンドロスの部下の様々な将軍が入り乱れての争いとなりました。

紀元前300年を過ぎるとおおよそ3つの国に分かれました。

西から見ていくと、まずマケドニア、ギリシアと小アジア(現在のトルコ共和国)の一部を含む、アンティゴノス朝マケドニアがあります。地中海の南側にはプトレマイオス朝エジプトがあります。最後に小アジアと地中海の東側、シリア、パレスチナより東側の広大な地域を支配したセレウコス朝シリアがあります。

アンティゴノス朝とセレウコス朝

アンティゴノス朝の領土には、かつてポリスが栄えたギリシアもあります。その領土内で様々な都市同盟が興り、反マケドニア運動により衰退します。

セレウコス朝は広大な地域を支配しましたが、バクトリア(現在のアフガニスタン)が紀元前255年頃に独立します。またソグディアナ(現在のウズベキスタン)も独立します。バクトリアはこの地に移り住んだギリシア人が建てた国で、ギリシアの文化とオリエントの文化が融合した、ヘレニズム文化が栄えました。

紀元前250年を過ぎると、カスピ海の東南、現在のイランの領土でイラン系遊牧民パルティア王国(アルサケス朝)を建てます。この王国は500年近くの間中東に君臨し、後に古代ローマ(共和政ローマ)やローマ帝国とシリアやメソポタミアの地で争いを繰り返します。

このようにしてセレウコス朝は、バクトリアやパルティアといった新興の、新しく生まれた国に押されて、領土が縮小していきます。

プトレマイオス朝の繁栄

3つの王国の中で最も安定していたのはプトレマイオス朝でした。第2章で、古代エジプトの統治がメソポタミアと比べると安定していた、とありました(第2章「古代オリエント文明の概観」を参照。プトレマイオス朝はその安定した支配の体制を活用しました。その体制とは、王に権力が集中する中央集権体制と王に仕える役人である官僚による支配です。またナイル川河口のデルタ地帯(三角州)からの豊富な農作物の収穫が国家を安定させました。プトレマイオス朝はこのデルタ地帯から計画的に税金を集め、それを基にした国家の経済力により、周囲の地中海沿岸の国々に影響を与えました。

プトレマイオス朝の首都アレクサンドリアは当時の世界の中心とも呼べるような街でした。街は整然と整備され、商業活動も活発でした。

それに加えて、アレクサンドリアを他と比べられない街にしたのは、アレクサンドリアが当時の文化、科学技術の中心だったことです。

アレクサンドリアにはムセイオンと呼ばれる図書館と研究施設がありました。ムセイオンというのは芸術の女神、ムーズの殿堂、という意味です。このムセイオンが、英語のミュージアム(museum、博物館の意味)の言葉の由来です。

ムセイオン出身の科学者、数学者

ここでこのムセイオン出身の3人の科学者、数学者を紹介します。

まず1人目は浮力の法則(アルキメデスの原理)でその名が残っているアルキメデス(紀元前287?~212)です。彼がお風呂に入った時に浴槽からあふれたお湯を見てアルキメデスの原理を発見した、という話は、その時に叫んだ「ユーレカ!(Eureka、分かった、の意味)」の言葉と同じく有名です。アルキメデスは「ユーレカ!」と叫び、裸のまま風呂を出て、街を走った、と言われます。

アルキメデスが歴史上登場するのはローマ(共和政ローマ)カルタゴが戦った第2次ポエニ戦争(紀元前218~202)です。彼はローマと戦ったシチリア島のシラクサの軍に付きます。そこで様々な兵器を開発し、ローマ軍を悩ませます。最後はローマ兵に殺害されますが、その最期の時も自宅にて研究を続けていたそうです。

次にムセイオンの館長も務めたエラトステネス(紀元前275?~194)です。彼の名前は素数を(その数と1以外では割り切れない数、例えば3、5、7など)見つける計算法の「エラトステネスのふるい」にその名を留めています。また地球の半径と地球1周の長さを計算したことでも有名です。

エラトステネスは地球の1周の長さ(円周)が46000キロメートル(km)、という値を出しました。現在では地球の円周は40075キロメートルとされています。エラトステネスの出した値は、実際の値とは15パーセント(%)の差(誤差)がありますが、今から2000年前の結果と考えると、かなり近い値、と言えます。

地味だけど凄い人、エウクレイデス

最後に登場するのは数学者のエウクレイデス(ユークリッド)です。彼は図形の法則をまとめた「原論」という書物を書きました。数学で図形の性質を調べる分野を幾何学きかがくと言います。この幾何学の基本を完成させたのがエウクレイデスです。

中学生の皆さんならば、数学の時間に図形の証明問題をやりますね。エウクレイデスはこの証明の方法を確立しました。

図形の証明が苦手な方ならばこのエウクレイデスは憎い奴、と思うかもしれません。しかし、彼が数学において残したものは計り知れないものがあります。

エウクレイデスの証明の方法は簡単に言いますと、すでに分かっている法則(数学では定理、とも言います)から未知の、まだ分かっていない定理、法則を見つけることです。図形の証明問題では、すでに分かっていることは「仮定」です。それに対してまだ分からないこと、証明したいことは「結論」です。

証明とは、仮定という材料を組み合わせて、知りたい結論を導く作業です。いくら数学、自然科学が進歩しようとも、この証明という作業はいつまでも続き、繰り返されます。人間が分からない法則を見つけたい、証明したい、と思うならば、科学的に、数学的に証明する取り組みは終わることがありません。

エウクレイデスは、終わることのない、証明という方法を示しました。ですが、いつでも科学を発展させるために、エウクレイデスの方法を信じることが出来ます。エウクレイデスはいつまでも残る、科学を発展させる方法を残しました。

これまで、プトレマイオス朝の現在に残る遺産とも言える、ムセイオンという研究施設について述べました。

ヘレニズム時代の最期

このような栄光を誇ったプトレマイオス朝でしたが、やがて後継者争いが起こり、弱体化します。この時代に地中海沿岸ではローマ(共和政ローマ)が力を付けていきます。

プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ7世(在位、紀元前51~30)はローマの英雄ユリウス=カエサルやカエサルの部下のアントニウスと結び、勢力を保とうとします。しかし、アントニウスに対抗するローマのオクタウィアヌス(カエサルの姉の孫、後のローマ初代皇帝アウグストゥス)はクレオパトラをローマの敵とみなし、ローマやその他の国々を味方に付けてクレオパトラのプトレマイオス朝を滅ぼします(アクティウムの海戦、紀元前31年)。これによってアレクサンドロスの死後約300年続いたヘレニズム時代は終わりを迎えました。

この記事では、アレクサンドロスの死後の時代であるヘレニズム時代を見ていきました。結局3つの王国に分かれましたが、それぞれの名前とどの地域を納めていたのかはすぐに思い出せるようにしておきましょう。

これで古代ギリシアの解説は終わります。次の章(第4章)では古代ローマ(共和政ローマ)からローマ帝国について扱います。紀元前395年にローマ帝国が東と西の2つに分かれる時代まで取り上げます。

この記事のまとめ

  • アレクサンドロス3世の急逝により、ディアドコイの争い(後継者争い)が始まった。
  • 紀元前300年を過ぎると、広大な領土はアンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアの3つの王国に分かれた。
  • アンティゴノス朝は、ギリシアの領土内で様々な都市同盟が興り、反マケドニア運動により衰退した
  • セレウコス朝は広大な地域を支配したが、やがてバクトリア、ソグディアナが独立した。紀元前250年を過ぎると、イラン系遊牧民パルティア王国(アルサケス朝)を建てた。セレウコス朝は、これら新興の独立国に押されて領土が縮小した
  • プトレマイオス朝は古代エジプトからの安定した支配体制を活用した。またナイル川河口のデルタ地帯からの豊富な農作物の収穫が国家を安定させた。それを基にした国家の経済力により、周囲の地中海沿岸の国々に影響を与えた
  • プトレマイオス朝の首都アレクサンドリアは商業活動も活発で、また文化、科学技術の中心として当時の世界の中心と呼べる都市として栄えた
  • アレクサンドリアにはムセイオンと呼ばれる図書館と研究施設があり、一流の科学者、研究者が集まった
  • ムセイオン出身の科学者、数学者には浮力の法則を発見したアルキメデス、地球の半径と一周の長さを計算したエラトステネス、幾何学(図形)の法則をまとめた「原論」を著したエウクレイデスがいる
  • やがてプトレマイオス朝には後継者争いが起こり、衰退する。その間に地中海沿岸ではローマ(共和政ローマ)が台頭する
  • プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ7世はローマのユリウス=カエサルアントニウスと結び、勢力を保とうとした。しかし、アントニウスに対抗するローマのオクタウィアヌスによりプトレマイオス朝は滅亡する(アクティウムの海戦、紀元前31年)

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