「都市」から都市ネットワークへ
(第1章:4/12)
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今回は第1章の4回目(全12回)。これまで農耕を始めた人間の社会から都市が生まれ、都市が文明を生みだすことを見てきました。
この記事では、都市と農村、都市と都市の間につながりが出来、より広いネットワークが生まれていく様子を見ていきます。
歴史の解説を読まれる方はこちらに移動してください 記事の一覧トップ 古代オリエント史第1回:古代オリエント文明の概観
1.2.3 「都市」から都市ネットワークへ
都市圏から国家、文明圏へ
都市の洗練されたスタイルは、周りの土地に大きな影響を与えます。まずは周囲の農村、漁村がいちばん近い都市のネットワークに入ります。このようにして、前の章(序章「ネットワーク歴史観について」を参照)で挙げたネットワークの基本単位である、「都市圏」が生まれます。
今度は都市圏の間で差が生まれます。都市は人が集まりやすい場所に生まれますが、さらに条件の良い都市に人が集まります。良い条件とは、大きな川の畔にあるとか、周りに平野が続き大きな道路が作りやすい、などといったものです。そのうち、いちばん人が集まる都市が周りの都市を従えるようになります。都市の中の都市とも言える、首都が生まれます。
首都のような大都市では、そこに王が住む宮殿があり、王に従う役人たちの働く役所や、彼らが住む住宅があります。同時に王が住むところには神殿があります。神殿とは神々が祀られる場所のことです。神殿は王の権威を高めるために建てられました。つまり王は自分の権威、力が神から与えられたものだ、とアピールしたかったのです。ですから神殿は、そこに神が住んでいる、と思わせるような壮大な建築物でなければなりません。
このようにして首都を中心とした都市ネットワークである「国家」が生まれます。
しかし真に影響力のある文明は、国家や民族、人種の壁を越えてより広い地域に影響を及ぼします。地域ネットワークには、様々な国家をまとめ上げる、より広い範囲に及ぶネットワークが存在します。その最大のネットワークが「文明圏」です。
文明と帝国との関係は?
さて、歴史を知るキーワードの残り一つ、「帝国」と文明との関係は複雑です。
「帝国」とは地域に生まれる様々な国家を超えて、あらゆる国家、民族、人種を取り込んだ国家の中の国家です。そこで帝国は文明を利用して支配を強化しようとします。これは次の記事で説明します。
これまでのところで、歴史を知る3つのキーワードの中の2つ「都市」と「文明」について学びました。
都市は市場としての役割を果たしました。都市に人が集まり、街と人々の生活のスタイルはより洗練されて(磨き抜かれて)、そのスタイルが周りの地域に影響を与えます。この洗練されたスタイルを発信することも都市の役割でした。
都市のスタイルは、人種や民族、言語の壁を越えて人々に訴えるものとなり、都市から生まれる生活、表現、情報発信のスタイルが周辺にも影響を与え、文明を形作るようになります。
次の記事から、歴史を知る3つのキーワードの残りの一つ「帝国」について説明をします。