苦難の民、ヘブライ人とユダヤ人
(第2章7/15)
今回は古代オリエント文明の7回目(全15回)。前回は紀元前1200年頃より東地中海地方で勢力を伸ばしたアラム人とフェニキア人について学びました。2つともセム語系の民族でした。
この記事では、同じ時期に勢力を伸ばしたセム語系のもう一つの民族ヘブライ人について学びます。ヘブライ人が後の時代に残したものは、一神教の崇拝(神を拝むこと)です。今回はまずヘブライ人の歴史をざっと解説します。一神教については次の記事で説明します。
2.2.8 苦難の民、ヘブライ人とユダヤ人
セム語系のヘブライ人はもともとユーフラテス川の上流辺りに居住していたと考えられています。そして紀元前2000年あたりに東地中海地方のパレスチナ(現在のイスラエル、パレスチナ自治区)に移動したようです。
ヘブライ人の一部はエジプトへと移住しましたが、その当時の王朝だったエジプト新王国から苛酷な、苦しめられる扱いを受けるようになりました。紀元前13世紀(前1200年代)にヘブライ人の中からモーセという預言者が現れました。ヘブライ人たちはモーセに従い、エジプトから逃れました(「出エジプト」)。その後再びパレスチナを目指して移動します。
この「出エジプト」の記録は、聖書(旧約聖書)の中の「出エジプト記」に記録されています。
ところで、先ほどモーセのことを「預言者」と書きました。これから宗教について解説する際にこの言葉が出てきますので、ここで説明します。預言者とは、神からのお告げ、メッセージを聞き、それを人々に伝える者です。
もちろん、それが本当に神のお告げなのかは分かりません。ですが、預言者の言葉には人を動かす力があります。その言葉は、ある集団や民族の生活を一度に変えてしまうくらい効果的です。
ヘブライ王国(イスラエル)の誕生
さて、ヘブライ人たちには王はいませんでした。その代わりに預言者たちが民を導きました。またパレスチナの地ではヘブライ人は少数の集団でしたので、常に周りの強大な民族と戦わなくてはなりませんでした。そこで戦いを指導する者も活躍しました。
ヘブライ人たちの主な敵の中にペリシテ人という民族がいました。ペリシテ人は、紀元前1200年頃に東地中海に集団で移動した「海の民」の子孫のようです。ちなみにパレスチナ、という地域の名前はこのペリシテ人に由来しています。
聖書の中には、ペリシテ人の軍の中にゴリアテという巨人がいた、と書かれています。この話の中では、ダヴィデという少年がゴリアテに立ち向かいます。ダヴィデは石を投げる機械(むちの先に石をくっ付けて投げる道具だったらしい)を使い、ゴリアテに石を投げました。石はゴリアテに命中し、ゴリアテは命を落としました。ヘブライ人の軍は勝利を納めました。
ここで登場したダヴィデは、後にヘブライ人の王になる人物です。ところで、ペリシテ人のことを英語でphilistineと言います。このphilistineという単語ですが、英語では「教養がない、俗っぽい」という悪い意味で使われることもあります。おそらく聖書に出てくる巨人ゴリアテのイメージからこのような意味になったのでしょう。
話は飛びましたが、このペリシテ人との戦いが激しくなるにつれて、ヘブライ人は王を立てるようになりました。この王国を歴史上はヘブライ王国と言いますが、ヘブライ人は自分たちのことをイスラエル人と言っています。現在パレスチナにあるイスラエルという国名にもその名残りがあります。
先ほどダヴィデという少年が出てきましたが、ダヴィデはヘブライ王国の2代目の王です。ダヴィデ王の時代にヘブライ人がペリシテ人を破って、パレスチナを統一します。そして王国の首都をイェルサレムに置きます。
ヘブライ王国が全盛期だったのはダヴィデの次の王ソロモンの時代です。ソロモンはイェルサレムにヘブライ人の神ヤハウェの壮大な神殿を建てます。この時に外国との貿易(外国と商取引をすること)も活発になります。それと同時に、外国の宗教も取り入れられるようになります。
2つの王国に分裂
ソロモンの時代にヘブライ王国は発展しますが、その代わりに王国を維持する費用が増え、国民に思い税金が課せられるようになります。この結果、王ソロモンの死後に、ヘブライ王国は北のイスラエルと南のユダ王国に分かれます。
分裂した王国は力を弱め、周辺の国家の圧力に苦しみます。さらに、ヤハウェの崇拝以外の教えも取り入れられるようになります。
結局イスラエル王国は紀元前722年に強大な帝国アッシリアの王サルゴン2世に滅ぼされます。またユダ王国は紀元前586年にアッシリアから分かれた新バビロニア王国のネブカドネザル2世にイェルサレムを攻撃され、滅びます。
「バビロンの捕囚」
この時、ユダ王国の多くの者たちがバビロニア王国に強制的に移住させられます。これを「バビロンの捕囚」と言います。
この「バビロンの捕囚」の記憶が新しい宗教を生むきっかけとなりました。ユダヤ教の誕生です。詳しくは次の記事で説明します。
ユダ王国を滅ぼした新バビロニア王国は紀元前538年にアケメネス朝のキュロス2世により滅ぼされます。アケメネス朝は後で出てきますが、イランから生まれた強大な帝国です。この時、王キュロスはユダの民がパレスチナへと戻ることを許します。この頃からユダ王国のヘブライ人たちはユダヤ人と呼ばれるようになります。
このユダヤ人が新しい信仰を始めます。神ヤハウェをただ一人の神とするユダヤ教です。ただ一人の神を崇拝する宗教を一神教と言います。宗教全体から見ると、一神教は多くはありません。しかし世界に与えた影響力を考えると、無視することは出来ません。
この記事では、紀元前1200年以降に東地中海に勢力を伸ばしたセム語系の3つの民族の一つ、ヘブライ人について説明しました。残りの2つの民族はアラム人とフェニキア人でした。
次の記事では、バビロニア王国から解放されたユダヤ人が始めた新しい信仰、ユダヤ教と一神教の基本について解説します。
この記事のまとめ
- 紀元前13世紀、ヘブライ人たちは預言者モーセに従い、エジプト新王国から逃れる(「出エジプト」)
- ヘブライ王国の王ダヴィデはパレスチナを統一。次のソロモンの時代に全盛期を迎える。ソロモンは神ヤハウェの壮大な神殿を建てる
- ヘブライ王国は王ソロモンの死後、イスラエルとユダ王国に分かれる。イスラエルはアッシリアに滅ぼされる
- ユダ王国は新バビロニア王国のネブカドネザル2世に滅ぼされ、バビロンに強制的に連れ去られる(「バビロンの捕囚」)
- 新バビロニア王国は紀元前538年にアケメネス朝のキュロス2世により滅ぼされる。この時、王キュロスはユダの民がパレスチナへと戻ることを許す。