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アムル人と古バビロニア王国、ハンムラビ法典について

(第2章4/15)

今回は古代オリエント文明の4回目(全15回)です。前の記事では、シュメール人の都市国家をアッカド人が統一したことを学びました。

この記事では、アッカド人と同じ、セム語系のアムル人がメソポタミアを統一し、建てた古バビロニア王国(バビロン第1王朝)について説明します。特に6代目のハンムラビ王についてと、彼の治世(治めた時期)に作られた法律である、ハンムラビ法典について解説します。

2.2.4 アムル人と古バビロニア王国、ハンムラビ法典について

紀元前19世紀(前1800年代)に、シリアよりセム語系の遊牧民のアムル人がメソポタミアに侵入し、古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を建てます。首都はユーフラテス川沿いのバビロンでした。

紀元前18世紀(前1700年代)に第6代目の王ハンムラビ(在位:紀元前1792?~1750?)がメソポタミアを統一します。

ここで「在位」という言葉が出てきました。これは王が王座に就き、王として務め、国を統治していた時期のことを指します。王は生まれてすぐに王になるわけではありません。そこで王の年代については、王がいつ生まれて死んだのかという年代(生没年)よりも、在位の年代の方が大切です。

ですから、これから王の年代については、在位の年代を使います。

ところで、ハンムラビは中央集権国家と呼ばれる体制を作ります。中央集権国家とは第1章で説明した、帝国のようなものです。帝国は王のもとに王に直接仕える官僚がいて、官僚が領土全体に王の命令を行き渡らせることで支配しました。このように全領土を王が直接支配する国家を中央集権国家といいます。

またハンムラビは運河(人工の川のこと)を整備して、灌漑、治水の対策をしました。灌漑とは川から水路を使って、畑に水を引くことでしたね。もう一つの治水とは洪水対策のことです。第1章で帝国は公共事業を行い、ネットワークを整備することを説明しましたが(第1章「帝国と経済、商業体制、そして法律の役割」を参照)、ハンムラビはその公共事業も行いました。

古バビロニア王国は帝国と呼べるほど広い範囲は支配しませんでしたが、中央集権国家を固め、帝国に近い国の形を作りました。

加えて第1章では、帝国は商業を活発にするために、商取引のルールを統一した法律を作ることを説明しました(第1章「帝国と経済、商業体制、そして法律の役割-商人との関わりと再分配の機能」法律を作って商取引がスムーズにを参照)。

ハンムラビは法律をまとめ、それを支配のために用いました。これをハンムラビ法典と言います。

ハンムラビ法典について

法律というのは、王の領土全体で通用する社会生活のルール、と言えます。

中央集権国家は、全ての領土に王の支配が及ぶようにします。ですから中央集権国家では法律を整える、整備することがどうしても必要です

ハンムラビ法典がまとめられる前に、シュメール人の都市国家の間でも法律は作られていました。シュメール人の説明の所で、都市国家の間には争いが絶えなかった、と述べました(第2章「文明の始まり-シュメール人の都市国家とアッカド人のメソポタミアの統一」を参照)。その対立を和らげるために法律が作られました。ハンムラビ法典はこのいくつかのシュメール人たちの法律をまとめたものです。

ハンムラビ法典は楔形文字くさびがたもじで書かれました。1901年フランスの探検隊が、イランのスサで法律が記録された円柱を発見しました。円形をした柱の表面に法律の文章が書かれていました。

法律の文章は4000行あります。法律の命令を条文と言いますが、ハンムラビ法典はその条文が282もあります。282条の条文です。

条文の内容は、人の目を切り取ったなら、その人の目を切り取る、骨を折ったなら、危害を加えた人の骨を折る、といったものが有名です。「目には目を、歯には歯を」の原則、と呼ばれます。このような刑罰を示した法を復讐法といいます。復讐法がハンムラビ法典の第一の原則です。

しかし、その刑罰は身分によって差がありました。身分の低い者には「目には目を、歯には歯を」が適用されましたが、身分の高い者には罰金だけで済む、といった差別がありました。このようにハンムラビ法典は復讐法の原則と、身分による差別があったこと、この2つが特徴です。

ハンムラビ法典全体は、刑罰を規定した刑法だけではありません。結婚や財産を受け継ぐこと(相続)、商業や貿易(他の国と取引すること)のルールなど、今でいう民法、商法に当たる法律もあります。発見したのはフランス人ですが、ヨーロッパの人々は、ハンムラビ法典が法律としてうまくまとめられていることに驚きました。

商取引のための法律もある

ところで、ハンムラビ法典の中の商業のルールが書かれた箇所を見ると、その当時の商取引がどれだけ発展していたかが分かります。

例えば、代理人が利益を上げなかった時には、大商人に借りた銀の2倍を返す、といった条文が見られます。

どうやら代理人というのは、大商人のようなお金を持っている人からお金を借りて、それを元手にして商売をする者のようです。

現在に置き換えると、この大商人は事業にお金を出す(出資しゅっしする)者、代理人は集めた資金(資本金しほんきん)を元に事業を経営する者(事業者、経営者)と言えそうです。現在の株式会社の制度では、事業によって利益が発生した場合には、出資した者に利益を分けます。このようにして分配する利益を配当はいとうと言います。

お金を持っている者、お金が余っている者が、お金を必要としている者にお金を渡すこと、預けることを金融きんゆうといいます。

ですからハンムラビの治世中のメソポタミアでは、現在の株式会社や金融の仕組みとほぼ同じ制度が出来ていたことが分かります。

この記事ではアムル人が建てた古バビロニア王国について説明しました。特に第6代目の王ハンムラビと彼の治世中に作られたハンムラビ法典について解説しました。

次の記事では、馬に引かせた戦車による戦車戦術を使い、メソポタミアを始め広大な領土を築いたヒッタイト人とその後に起こった王国について説明します。

この記事のまとめ

  • 紀元前19世紀セム語系のアムル人がメソポタミアに侵入、バビロン古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を建てる
  • 紀元前18世紀に第6代目の王ハンムラビがメソポタミアを統一
  • ハンムラビは中央集権国家の体制を作り、灌漑・治水などの公共事業を行う
  • ハンムラビはハンムラビ法典と呼ばれる法律を作った
  • ハンムラビ法典は復讐法の原則があり(「目には目を」)、身分による差別があった
  • ハンムラビ法典は282条からなり、刑法に加え、相続の問題、商取引のルールなど法律が整理されている

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