文明の始まり-シュメール人の都市国家とアッカド人のメソポタミアの統一
(第2章3/15)
今回は古代オリエント文明の3回目(全15回)。前回は古代メソポタミア文明の概要、大まかな要点を説明しました。
この記事ではメソポタミア文明の最初として、まずはティグリス川、ユーフラテス川沿いに都市国家を作ったシュメール人について説明をします。その後、メソポタミアの都市国家を最初に統一したアッカド人についても説明をします。
2.2.2 文明の始まり-シュメール人の都市国家
「メソポタミア」とはギリシア語で「川と川の間の地」という意味です。ではどの川の間なのでしょうか?
その河川はティグリス川とユーフラテス川です。どちらも現在のイラクを中心に流れ、最後はペルシア湾に達します。この2つの川の周辺は平地が続き、2つの大きな川の水運、水の流れを利用できます。
紀元前3000年から2700年までの間に、この2つの川の河口付近にいくつもの都市国家が生まれます。都市国家とは都市を中心として地域がまとまった国家のことで、中心となる都市には神殿がありました。都市国家の代表はウル、ウルク、ラガシュなどです。都市国家を最初に建てた民族はシュメール人です。
シュメール人の都市国家群は西暦前25世紀(前2400年代)頃のウル第1王朝の時代に全盛期を迎えます。
第1章で、人間が農耕を始めてから都市が出来る様子を説明しました(第1章「農村から都市が生まれるステップ-余剰農作物が「都市」を作る」を参照)。ウシの力を借りてより広い土地を耕し、川から水路を引いて畑に水を入れ(灌漑農業)、土地を計画的に分ける、区割りすることが大切でした。また都市には役人がいて、土地を管理しました。シュメール人たちが作り上げたいくつもの都市国家は、都市を中心とした国家で、最も原始的な、シンプルな形の国家と言えます。
とはいえ、代表的な都市国家の一つウルクには人口が5万人もいたと推測されています。またウルクの都市は高さが4メートルで、都市の周囲を10キロメートルに渡って囲う城壁がありました。それだけ農作物の収穫が豊かで、都市には人と物が行き交い、豊かだった様子がうかがえます。
この都市国家の特徴は、都市の周囲が城壁で囲まれ、都市の中心に土地の神を祀る神殿があることです。神殿はジックラド(聖塔)と呼ばれる壮大な塔にあります。ジックラドの遺跡は、それだけの建築物を建てる技術がすでにあったことを示しています。都市国家の文明は私たちの想像を超えて発展していたのでしょう。
都市国家の文明については、文字があり、また独自の数の数え方がありました。
文字は粘土板に葦の茎で作ったペン先を押し付けて書く楔形文字が使われました。また数の数え方は六十進法という独特の数え方が使われました。六十進法の名残としては、60秒を1分、60分を1時間と数える時間の数え方や、円を1周して360度という度数(角度)の数え方があります。他には暦の数え方は月の満ち欠けをもとにした太陰暦が使われました。なぜ都市国家には神殿があるのか?
ところで、先ほど都市の中心に神殿があったと述べましたが、なぜこのような壮大な神殿があったのでしょうか?
都市の周辺には農村が広がっています。農業は常に自然災害との戦いです。大雨による川の氾濫や洪水、逆に雨が降らずに土地が干上がる干ばつ、イナゴなど虫の大群に襲われる虫害もあります。
そこで人々は災害から自分たちを守ってもらうよう神に祈り、また収穫の感謝を神に捧げました。
都市の王はそれらの神々の支えによって自分が国家を支配している、と民に思い知らせようとしました。つまり王としての権威を神が認めたのだから、自分が支配するのは当然だ、と主張したいのでしょう。ですから王は都市に壮大な神殿を作って、そこに神が住んでいるということを周りに思わせたかったのです。
王は自分を神の代理人と呼びました。だから王に従え、と周りに要求します。このように王が神や宗教の権威を借りて行う政治を神権政治といいます。「神権」という言葉は普段耳にしませんね。王が「神の権威」を借りる、略して神権、と覚えておきましょう。
都市の中心に壮大な神殿があった理由はもう一つあります。ここでもう一度思い出してみてください。都市はどのようにして出来たのでしょうか?
農村で消費する、食べる以上の作物、つまり余剰農作物が獲れるようになったからでした。
しかし、都市はその余剰農作物を農村から集めなくてはなりません。そのために、都市には神がいて、その神に捧げ物をしようと農民たちに思わせる必要がありました。
なので神殿は、農民たちが進んで都市に年貢(農作物で支払われる税金のこと)を納めさせるために建てられました。
メソポタミアの統一
さて、シュメール人の都市国家は互いに争いを繰り返しました。理由はより良い土地を得るためです。また畑に水を引く水路やため池がどの都市の物か、という問題もありました。土地をめぐる問題で、都市国家の間では争いが絶えませんでした。
シュメール人たちが争いを繰り返す中、周辺の民族がたびたび侵入しました。最終的にアッカド人がメソポタミアの都市国家を統一します。
これまでメソポタミア文明の初めとして、シュメール人の建てた都市国家について学びました。まとめを以下に示しておきます。
次に都市国家を最初に統一したアッカド人について説明します。アッカド人はセム語系の民族と言われています。
2.2.3 都市国家を統一したアッカド人
先ほど、シュメール人の都市国家の間では争いが絶えなかった、と説明しました。理由は土地をめぐる問題でした。
やがて、争いが繰り返されたメソポタミアの地域には異民族が侵入するようになります。メソポタミアとはティグリス川、ユーフラテス川周辺の地域でした。
それら異民族の中で、アラビア方面より移動したセム語系民族のアッカド人がメソポタミアの都市国家群の統一に成功します。その時は紀元前24世紀(紀元前2300年代)、王はサルゴン1世の時代でした。
アッカド人はメソポタミアに加えて、シリアや小アジア(現在のトルコ共和国のあたり)やアラビアまで支配する領域を広めましたが、やがて東方の山岳民の侵入を受けて滅びました。
紀元前21世紀(前2000年頃)には一時シュメール人の勢力が再び盛んになりました。この時の王朝はウル第3王朝と呼ばれます。
その後、今度はシリアよりセム語系の遊牧民のアムル人がメソポタミアに侵入します。アムル人たちは紀元前19世紀(前1800年代)にユーフラテス川沿いの都市バビロンを都とする古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を立てます。
この記事では、メソポタミア文明の初めとして、シュメール人の建てた都市国家について学び、次にメソポタミアの都市国家群を統一したアッカド人について説明しました。
次の記事では、アッカド人に続いてメソポタミアを統一したアムル人と、アムル人の建てた古バビロニア王国(バビロン第1王朝)について解説します。アムル人の語族はアッカド人と同じセム語系になります。
この記事のまとめ
- ティグリス川、ユーフラテス川沿いにシュメール人が最初に都市国家を作った
- 都市国家の代表はウル、ウルク、ラガシュ
- 都市国家は城壁で囲まれ、中心には神殿がある。ジックラド(聖塔)も見られる
- シュメール人の都市国家はウル第1王朝の時代に全盛期
- 文字は楔形文字、数の数え方は60進法、暦は太陰暦が使われた
- 都市国家の王は神権政治によって国家を統治した
- 都市国家の間には土地をめぐる争いが絶えず、最後にはセム語系のアッカド人がメソポタミアを統一した
- 紀元前24世紀、王サルゴン1世がメソポタミアを統一
- 紀元前21世紀、シュメール人がウル第3王朝にて勢力を一時盛り返す
- その後、セム語系の遊牧民のアムル人がメソポタミアに侵入
- アムル人は紀元前19世紀バビロンを都とする古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を立てる