古王国-古代エジプト2
(第2章13/15)
今回は古代オリエント文明の13回目(全15回)。前回より古代エジプトの解説に入りました。
この記事では、古代エジプトの30ほどの王朝を主に3つの時期に分けますが、最初の古王国について説明します。
2.3.2 古王国-古代エジプト2
エジプトの歴代の王朝の中で、紀元前2650年頃からの500年間、第3王朝から第6王朝までの期間を古王国時代といいます。古王国時代の首都は、ナイル川のデルタ地帯の入口にあたるメンフィスでした。
ちなみにエジプトの歴代王朝の首都は、中王国、新王国と時代を下るにつれてナイル川の上流に移ります。
ところで、エジプトの王はファラオと呼ばれていた、ということをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。このファラオという称号ですが、「大きな家」という意味があります。大きな家にいる人、つまり宮廷に住む人、という意味です。
ファラオは太陽神の化身(成り代わり)として圧倒的な権威を持ちました。このような統治の仕方を神権政治といいます。神権政治という言葉はこの章の3つ目の記事(第1章「文明の始まり-シュメール人の都市国家とアッカド人のメソポタミアの統一」を参照)でも出てきました。王が神や宗教の権威を借りて行う政治を神権政治といいました。
古王国では、太陽神ラーが崇拝されていました。中王国より後の時代には、守護神アモンと太陽神ラーが結びつき、アモン=ラーが崇拝されました。
ファラオはまた、土地の管理者でもありました。そこで星や太陽の動きを観察してナイル川の増水の時期を予測し、水が引いた後は土地を正確に測って、民に土地を割り当てることがファラオの役割でした。
エジプトでは麦がお金だった?
ファラオは民に収穫高の2割(20%)を税金として納めるよう要求しました。畑での主な作物は麦でした。麦はエジプトでお金と同じ役割を果たしました。
何も金や銀などの貴重な金属や、権威のある銀行(中央銀行、日本では日本銀行が中央銀行です)が発行するお札(紙幣)だけがお金になるわけではありません。ある物がお金になる条件は大まかに2つあります。
その2つの条件とは、1つは誰もが価値を感じる物で、もう一つは保存が利くことです。あともう一つ条件を挙げるとすれば、持ち運びが出来ることです。
最初の条件は、どんな物とも、何にでも交換できる物、とも言えます。麦などの穀物は基本的な食料ですから、誰もが欲しがります。ですから麦があれば、様々な物と交換が出来ます。そのためエジプトでは、麦はお金と同じ役割を果たすようになりました。
お金になるためのもう一つの条件については、すぐにだめになるような物はあまり価値を感じられませんね。ですから長く保存出来ることも必要です。
エジプトでは麦はお金と同じ役割を果たしました。そこで、王のもとへと集められた麦は厳重に管理される必要がありました。
エジプトの紙、パピルスの大切さ
そのためでしょうか、エジプト古王国の末期には1600種類もの仕事を果たす役人がいました。さらに、王国の管理をするために、膨大な文書が記録されました。
文書を記録するには紙が必要です。古代エジプト独特の紙の原料はパピルス草という、ナイル川沿いの沼地に生える茎の長い草でした。
パピルス草の茎を細長く切ったものを布の上に敷き、その上にさらに布を被せます。布の上から敷いたものを叩き、乾燥させるとパピルス(papyrus)という布のような紙が出来ます。
英語で紙のことをpaperと言いますが、パピルスがpaperの由来となっています。
さて、エジプト古王国のファラオの権力を今に伝える遺跡として、巨大なピラミッドがあります。
その中で、ギザにあるクフ王のピラミッドが最大です。クフ王は紀元前27世紀頃(前2600年代)の第4王朝の王です。
この記事では、古代エジプト王朝の重要な3つの時代の中の最初の時代、古王国について説明しました。
次の記事では、次の重要な時代、中王国と新王国について解説します。
この記事のまとめ
- 、紀元前2650年頃からの500年間、第3王朝から第6王朝までの期間を古王国時代と言う。古王国時代の首都はメンフィス
- ファラオは太陽神の化身(成り代わり)として圧倒的な権威を持ち、神権政治を行った
- 古王国では、太陽神ラーが崇拝された。中王国より後の時代には、守護神アモンと太陽神ラーが結びつき、アモン=ラーが崇拝された
- エジプトでは麦はお金と同じ役割を果たした。集められた麦は厳重に管理された
- 王国の管理をするために、膨大な文書が記録された。記録はパピルスに書き留められた。
- 古王国では巨大なピラミッドが建てられた、第4王朝の王、クフ王のピラミッドが有名