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ユダヤ教の誕生と一神教の基本

(第2章8/15)

今回は古代オリエント文明の8回目(全15回)。前回は紀元前1200年以降に東地中海に勢力を伸ばしたセム語系の3つの民族の一つ、ヘブライ人について説明しました。

この記事では、ヘブライ人から出てきたユダヤ人が始めた新しい信仰、ユダヤ教と一神教の基本について解説します。一神教とはただ一人の神を崇拝(神を拝むこと)する宗教のことでした。

2.2.9 ユダヤ教の誕生と一神教の基本

ユダヤ教の説明に入る前に、まず前の記事の内容を簡単に復習します。

ヘブライ人はパレスチナ(現在のイスラエルとパレスチナ自治区)の地で王のいない民族でした。やがて王を立て、ヘブライ王国となります。

ヘブライ王国の3代目のソロモンの治世(治めた時代)が全盛期でした。ソロモンは首都イェルサレムに神ヤハウェの神殿を建てました。しかしソロモンの死後、ヘブライ王国は北のイスラエルと南のユダ王国に分かれます。

イスラエルとユダ王国はどちらも力を弱めました。またソロモンの時代以降、他の民族の宗教が入り込むようになりました。

ユダ王国は最終的に新バビロニア王国に滅ぼされ、大勢の者が強制的に連行されました。これを「バビロンの捕囚」と言いました。

アケメネス朝の王キュロス2世が新バビロニア王国を滅ぼした際に、キュロスはユダの民にパレスチナに戻ることを許しました。パレスチナに戻ったユダの民はやがてユダヤ人と呼ばれます。前回はここまで学びました。

ヘブライ人は、エジプトから逃れた「出エジプト」の後から、預言者モーセの指導により神ヤハウェを崇拝するようになりました。しかし、他の民族と関わりを持つ中で、他の民族の宗教の習慣も取り入れるようになりました。

ヘブライ人は神ヤハウェただ一人を崇拝していたので一神教いっしんきょうです。しかし、他のほとんどの民族は幾つもの神を崇拝していました。一神教とは違って、幾つもの神を崇拝する教えを多神教たしんきょうと言います。

一神教ユダヤ教の起こり

ところでユダヤ人たちは、なぜ自分たちが国を滅ぼされ、バビロンに連れ去られる目に遭ったのか、真剣に考えました。

ユダヤ人たちは、それは自分たちが神ヤハウェだけを崇拝せず、他の国の神々も崇拝するようになったからだ、と思い始めました。

また「バビロンの捕囚」の後の、王キュロスによるバビロンからの解放も、ユダヤ人たちにとって特別な体験でした。この体験は後に約束のメシア(救世主きゅうせいしゅ、世を救う者)への信仰につながりました。

さらにユダヤ人たちは、自分たちがキュロスによって解放されたのは自分たちが特別な民だからだ、とも考えるようになります。ユダヤ人たちのこの考えは、自分が選ばれた民だ、と信じる考え方で選民思想せんみんしそうと呼ばれます。思想と言う言葉はこれからも沢山出てきます。思想とはものの考え方のこと、と覚えておきましょう。

ユダヤ人たちは、まず神ヤハウェだけを崇拝すうはいすると誓い、神と契約けいやくを交わそう、と考えました。契約、というのは様々な約束事のことです。ここでは神がこうしなさい、と告げられたことに対してその通りに従います、と神に約束をすることを契約、と呼びました。

神と契約を交わした、と言うのならば、生活を神の教えとおきて(決まり事のこと)に従うように変えなければなりません。そのためには神の命令、掟が書かれた書物が必要です。こうすれば神との約束、契約が守れている、という崇拝のルールが書かれたルールブックが必要だったのです。

ユダヤ教にもそのルールブックがあります。預言者たちの記録やヘブライ人の歴史をまとめた『旧約聖書』です。

聖書には『旧約聖書』の他に『新約聖書』があります。これはどちらもキリスト教での呼び方です。「旧約」とは古い契約、「新約」は新しい契約、という意味です。キリスト教信者たちは、ユダヤ教の教えをまとめた『旧約聖書』の方を、古い、といって見下している印象も受けます。

古い契約と新しい契約とは?

古い契約と新しい契約、という考え方はユダヤ教とキリスト教の違いを理解する上で大切です。ここで説明します。

古い契約、というのはヘブライ人、ユダヤ人が神ヤハウェと交わした契約のことです。それに対して新しい契約とは、ユダヤ人の中から出てきたイエスが伝えたものです。イエスは紀元前の終わり頃にパレスチナで生まれました。

キリスト教の教えは、イエスが約束のメシアであることを認め、イエスを通して神と契約を交わすことが基本です。キリスト教の信者は、イエスが実在した、実際に生きて存在していたことを認めます。

イエスの時代のユダヤ人の国(パレスチナ)はローマ帝国の属州と呼ばれ、ローマ帝国に支配されていました。属州とされた国はローマに一定の金額を納めなくてはなりませんでした。またローマから総督と呼ばれる者が送り込まれ、ユダヤ人の自由は制限されました。

その中でイエスは、崇拝の形ばかりにこだわるユダヤ教の指導者たちを批判(相手の悪い部分をはっきりと言うこと)します。加えてイエスは、女性や貧しい者、そういった差別を受けている者たちに教えを広めます。イエスは、神の愛はどんな者にも与えられ、人間が神を愛し、隣人(周りの人たち)を自分のように愛すれば神は受け入れて下さる。と教えました。

イエスは、神と新しい契約を交わすように、と教えました。新しい契約の内容は、神を愛し、隣人を愛し、イエスを約束のメシアだと認める、というものです。この教えは当時のユダヤ人の中で、社会的に見捨てられたような人たちの心に訴えました。

ここまでイエスが伝えた新しい契約、について説明しました。イエスが教えたことは、彼の弟子たちによってまとめられました。またイエスの弟子たちは信者に幾つかの手紙を書きました。イエスの教えと弟子たちの手紙がまとめられた書物は『新約聖書』と呼ばれます。

一神教と多神教の違いは?

さて時代は「バビロンの捕囚」の後に戻ります。ユダヤ人たちは、契約を守るために神を崇拝する場所が必要でした。そこでユダヤ人たちは、イェルサレムに神ヤハウェの神殿を建て直しました。

これまでのところで、ユダヤ人たちが新しい神の崇拝の方法、一神教を生み出したことを見てきました。一神教の反対で幾つかの神を崇拝する宗教は多神教と言いました。

では、一神教と多神教の違いは何でしょうか?

拝む神様の数が違う、という答えがありそうですね。もちろん、これも正解です。

しかしながら、これ以上に大きな違いがあります。それは何でしょうか?

それは一神教の場合、神と契約を交わすことが教えの基本、という部分です。信者が、神とこういう生き方をします、と約束をしてその通りの生活をすること、これがいちばんの特徴です。

その約束をする者、契約を交わす者が何人もいたらどうでしょうか?それでは特別な契約にはなりませんね。

ですから、一神教では契約を交わす神は一人しかいません

宗教のつながりは家族より強い

そして、神との契約を守った生き方をしているという思い、信念、これこそが最も強い仲間意識、連帯感れんたいかんを生みます。

これは時に、家族や民族よりも強いつながりを生みます

この強いつながりを生む力が、ユダヤ教徒と同じ一神教である、キリスト教とイスラームが国や民族を超えて崇拝されている理由です。

「バビロンの捕囚」からパレスチナに戻った当時のユダヤ人は少数民族でした。しかし、この小さな民族が生み出した新しい宗教、崇拝の方法がこれからの世界を大きく変えました。

この記事では、「バビロンの捕囚」から解放されたユダヤ人たちが始めたユダヤ教と、ユダヤ教を含む一神教の教えについて説明しました。

次の記事では、ユダ王国の北のイスラエル王国を滅ぼしたセム語系のアッシリアについて説明します。アッシリアは「帝国」の力をオリエント世界に見せつけました。

この記事のまとめ

  • ヘブライ王国から分かれたユダ王国新バビロニア王国に滅ぼされ、大勢の者が強制的に連行された。(「バビロンの捕囚」
  • アケメネス朝の王キュロス2世がユダの民にパレスチナに戻ることを許した。パレスチナに戻ったユダの民はやがてユダヤ人と呼ばれる。
  • ユダヤ人は王キュロスによる解放を通して約束のメシア(救世主)に信仰を持つようになる。また自分たちが選ばれた民であるという選民思想を持ち始める。
  • ユダヤ人たちは、過去の悲惨な経験を通して、ま神ヤハウェだけを崇拝すると誓い、神と契約を交わそう、と考えた
  • 一神教の考え方は、後にキリスト教イスラームに受け継がれ、世界に大きな影響を与える

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