歴史のアンサンブルへようこそ

イラン人の起源とその歩み

(第2章10/15)

今回は古代オリエント文明の10回目(全15回)。前回は強大な帝国、セム語系アッシリアと、その後に生まれた4つの王国について学びました。

これから、「最初の世界帝国」と呼べるアケメネス朝について解説します。

この記事では、その前にアケメネス朝を支配したイラン人の起源と、イラン人の歩んだ歴史をざっと解説します。イラン人は現在でも特別な民族である、というプライドを持っています。その民族意識の源を探ります。

2.2.11 イラン人の起源とその歩み

先ほど、今回解説するアケメネス朝を「最初の世界帝国」と書きました。この点については、前の記事で学んだアッシリアが最初の世界帝国、とする見方もあります。

本サイトでは、あえてアケメネス朝を最初の世界帝国としています。

その理由は、アッシリアは軍事力によって広大な領土を征服しましたが、帝国として統治した期間が短かったために、帝国の体制、仕組みを整えるところまでは行かなかった、という見解、見方によります。

その点、アッシリアの次の帝国となったアケメネス朝は、帝国の体制を整え、200年の長い期間を統治しました。そして、その後の帝国にも見られるパターンがアケメネス朝にも見られます。ですから、帝国はどのような統治をするのか、という基本をアケメネス朝の例から学ぶことが出来ます。

イラン人の起こり

さて、アケメネス朝を建てたイラン人はインド=ヨーロッパ語族に属します。これまでもインド=ヨーロッパ語族の民族が出てきました。この章の5回目に出てきたヒッタイト人がそれに当たります。

他には紀元前1500年頃に北インドのパンジャーブ地方(現在はパキスタン領)に侵入したアーリヤ人もインド=ヨーロッパ語族の民族です。

イラン人も同じインド=ヨーロッパ語族の民族ですが、移動の時期はヒッタイト人やアーリヤ人とは違うようです。

イラン人が現在のイラン南部に移住したのは紀元前3000年から2000年の間、とされています。千年もの開きがありますので未だ不明な点は多いでしょうが、ヒッタイト人やアーリヤ人の移動の時期よりも早いことは確かです。

イラン人という名前は「アーリヤ(高貴な人)」という言葉に由来しています。現在でもイラン人は自分たちは特別な民だ、という意識、プライドを持っています。

イラン人のプライドの源

イラン人の特別な意識の源には、最初の世界帝国、アケメネス朝を支配した民族の子孫だ、という考えがあります。

さらに、イラン人はササン朝(西暦224~651)を興し、アケメネス朝と同様の帝国を築きました。

その後アラブ人によるいくつかのイスラーム王朝がイランを征服しますが、その中でも多くのイラン人は商人として、役人として、繊細な絨毯や建築物を作る職人として、そして数多くの美しい詩を生み出す詩人、作家として活躍しました。

特に、アケメネス朝とササン朝の時代には、イラン人から帝国を支配するための官僚(王に直接仕える役人)が数多く生まれました。その後に西アジアを支配したイスラーム王朝においても、多くのイラン人が優秀な官僚となりました。ですから、仮に王朝がアラブ人など他の民族のものだったとしても、実際の政治を取り仕切ってきたのは自分たちイラン人だ、という思いがあります。

このような民族の歴史が、イラン人が自分たちは特別な民だ、という意識を持つ源となっています。

今回はアケメネス朝の歴史の説明の前に、イラン人の起源とイラン人の歩んだ歴史を簡単に説明しました。

次の記事では、初めての世界帝国を築いたアケメネス朝について解説します。

この記事のまとめ

  • インド=ヨーロッパ語族イラン人は紀元前3000年から2000年の間にイラン南部に移動した
  • イラン人は世界帝国と呼べるアケメネス朝を興し、その後パルティア、ササン朝を興した
  • 多くの役人、官僚がイラン人から生まれ、後のイスラーム王朝(アラブ人、トルコ人などが支配)でも多くのイラン人官僚が政治を執り行った
  • イラン人は他にも商人、職人、建築家、詩人として活躍し、イラン人の言語であるペルシア語はアラビア語、トルコ語などにも影響を与える

書き込み年表で全体の位置づけと流れを確認

書き込み年表advanced:古代オリエント文明

次の記事

「最初の世界帝国」アケメネス朝

前の記事

強大な軍事帝国、アッシリアとその後のオリエント